2012年11月16日金曜日

かく。

文章を、書いています。

というのはもう、よくよく言っていることですが。

世の中に表現の数は無数にあるけれど
わたしはその中で、言葉を、文字をえらんだ。

えらんだ、というより、ふくらんでいく頭の中に
あらわれては消える文字たちの、
裾を必死につかまえてはたぐりよせていくような。

まぁつまり、書くしかなかったわけです。

わたしは。

自分が、才能があるかどうかなんてまだわからん。

向いてる向いてない、もきっとあるんだけどよくわからん。

それでも。

おもしろいものを
やわらかいものを
すてきなものを
つくっていこうという気持ちはあふれていくばかり。

だから私はきょうも、書くのです。

わたしの愛しい言葉たちにふれて、
誰かの日々がほんの少しやわらかくなれば、いいなぁ。

そのためにわたしは、いろいろのことに敏感でいたい。

感覚を、すっと澄まして。

できるだけ、純粋でいたい。
外側のものに対しても。
できるだけ、ふれていたい。

表現、していきたい。これからも。






そんなわけで。
12月15日20時、代官山Eau Cafeにて。

他分野の表現者たちによる、一夜限りのアートイベント・union。
に、参加します。
写真と音楽とことばのコラボレイション。

心の中にじんわりと拡がっていく夜のような空間を、言葉で演出できたらと思っています。

ぜひ、お時間のある方はお越しください。

オーナーの粋なはからいで、この夜限りのメニューも登場します!

すてきな表現者とおいしい料理。

少しだけおだやかな時間を過ごしてみませんか?


フライヤーが出来上がりました。 






かわいい!
これ、みんなの作品の切れ端をコラージュしたものなのです。
みんなの思考の一部がまざりあったみたいで、楽しいね。

皆様ぜひお越しくださいませ。


2012年11月13日火曜日

ねつ。

熱が、出ました。

ああまずいなまずいなこれ、と思いながら
ふらふらとベッドにダイブしたのがきのう。
まだ寝るには早い時間だったのだけど、
私の意識はとうにすっ飛んでいました。

それから真夜中に目を覚まし。
割れそうな頭を抱えて熱を。

38度7分。

今日はお休みを頂いて、おうちで寝ています。

わたしは、すぐに外に出たがる。

うずうず。

もちろん、今は身体がYesと言ってくれないので、
毛布を頭からかぶってとろんとろんしています。

こういう日も、悪くない。

お仕事をお休みさせてもらっているという申し訳なさはあるけれど。

楽しいことがあると、気持ちは走り続けてしまうので、
身体がときどき、ちゃんと休め、と言ってくる。
そんなこと言ったって走りたいんだよ、と、頭は膨らみ続ける。
でもまぁ、たまには言うことも聞いておきましょ。
これからも付き合っていかなくてはいけないからね。

朝はほんとうにベッドから一ミリも動けなかったのだけど、
今は少しずつ回復してきました。



昨日はつかっさんとごはんを食べました。

会うのは二回目。
予想していたとおり、面白い話ができました。

私の個人的な持論ですが。


いいものを持っているひとは、いい顔で笑う。


おおむね、間違っていないと思います。
経験上。

つまりそれは、心の、ちゃんと内側から笑っているからだと思う。

ちゃんと自分の中でいろいろのことを考えているひとは、
すごく苦しんだりもするけれど、
すごくいい顔で笑う。

私はそういうひとがすきなのです。

これからもいろんなひとと話していきたい、なぁ。

そうして私もいい顔で笑うために、自分と全力で向き合って、
やりたいこと目いっぱいやってこうと思います。

そんなわけで唐突にお知らせを。
12月15日に代官山eau cafeにてイベントをやります。
わたくし、表現します。

今回は、音+写真+ことばのコラボレーション。

おもしろいもん作ろうといま必死に(でもゆるゆる)動いていますので、お暇な方はぜひ。

思えばこのパフォーマンスの構想を練り始めたのが今年の4月。
年内には絶対やろうという約束、が、見事に果たせそうです。
最初は、ピアノ弾きの友達と何か一緒にやれたらいいね、から始まったのですが。
拡がって拡がって、映画撮りや写真撮りも加わって。
なんだか新しいイベントになりそうです。

フィールドは、みんなばらばら。

でも、表現したい気持ちは、みんないっしょ。

そんな5人が、それぞれのやり方で、空間を演出します。

見にきてくださるとうれしいです。

表現という方面で、もっと可能性を広げられたら。

自分の核は言葉なのだけど、紙の上だけじゃなく、もっと生で感じてほしいという欲求があって。
ライブの空気感。
が、もともと好きなのも相まって、文字も、できる限り視覚的なアートとしてとらえてほしいと思ってる。
頭で考えるより先に、目で感じ取ってほしい。
意味、を考えるより先に、感覚を楽しんでもらいたい。
そこんところの試行錯誤を、もっとしたい。

まぁ、失敗してもともとです。

よいのです。それで。

ひとは、動いていく。
ひとは、変わっていく。
ひとは、去っていく。

いつまでも同じまんまじゃいられません。
いつまでも一所にとどまってなど。

でも、その動きの中で新しい発見や出会いがあったりする。

だから、ゆっくりでも進んでいこうと思います。

来年、忙しくしたい。

いま、遊んでばっかじゃけぇなぁ……笑




2012年11月1日木曜日

as you are.

大人になるにつれて、自分の中で「心地よさ」がとてもだいじになってきた。

自分にとって

心地よい服を着る

心地よい場所に行く

心地よい人と居る

心地よく、生きる。

ゆっくり、じっくり、が、私にとっては心地よいみたい。

せかいは、ときどきとんでもない速さでまわって、
わたしは簡単にふりとばされそうになる。

そうして、ひどく不安になることもある。

そんなときは、ちいさくつぶやいてみる。

「だいじょうぶ」

みんな、ちゃんと自分だけの時を持っていて、
それが速いか遅いか、ただそれだけ。

だいじょうぶ。

進んでいることに変わりはないから。

まわりがどんなに速く進もうと、自分の中にはちゃんと、自分だけの時がある。

右足と、左足を、交互に前に出す。

そうすれば、身体は進んでいく。

ときどき立ち止まっては、景色をながめたり、自分の来た道を振り返ってみたりする。

そこにはちゃんと、自分が歩いてきた足跡が、それぞれの形で残っている。

だいじょうぶなのです。

心配せずに進みましょ。

自分にとって心地よい速度で。

そのまま、そのまま、自分のまま。

2012年9月17日月曜日

fukadaso

fukadasoの作品展に行ってきました。

まず、建物からして、すごくすき。






とてもよい雰囲気。

ひとつひとつの部屋が、小学校の教室のようななつかしさをもって迎えてくれた。

そしてそこにずらりと、素敵な作品たち。

作品は人柄を映すと私は思っているけれど、ほんとうにそう。
作家さんたちもみんな、すごく素敵な方々で。

そうなるとがぜんお話したくなっちゃうのが、わたし。

とくに照明の展示が気に入って、作家さんお話させていただきました。

村松さちえさんという方。
和紙を使った照明をつくられています。
和紙で切り絵してバースデーカードをつくったりもする私。
これはほんとに、ツボでした。
絶対に近いうちにオーダーしよっと。

ほっこりするんだけど、とても丁寧なお仕事が見える素敵な照明たち。

あかりって、生活になくてはならないもの。
その日々のすきまに、やわらかい光を灯してくれるような。

村松さんとお話させて頂いたのだけど、ご本人もやさしくてやわらかなひとでした。

村松さんの照明はこちらで見れます。 
http://www.sachiemuramatsu.com

ものづくり。
作品づくり。

続けていくことはむずかしい。
維持していくことはむずかしい。
質を上げていくことはもっとむずかしい。

あーたいへん。

でも、じゃなきゃおもしろくないよね。

わたしはまだまだ、なにも世に出せてないけれど、
いつか文字で世界をほんのすこしでもやわらかくできるように、
書き続けたい。

そしてそのために、いいものをずっと見ていこうと思う。

素敵な出会いに日々、感謝。








あんのん







2012年8月7日火曜日

となり。

となりにいるのは、誰だろう。
いつも笑わせてくれる。
となりにいるのは、誰だろう。
いつも笑っていてくれる。

良い歌を聞いた日は、いつもより正直になる。

ときどきはちゃんと言わないとね。


ありがとう。









あんのん

2012年5月31日木曜日

さいご。

わたしが死んだら、と、ときどき考える。
駅のホームで電車を待つ間、
友達と歩いていてふっと沈黙が訪れる瞬間、
朝目覚めてすぐ――。

それは、けれど、全然ネガティヴな意味ではなく。
ただ、ふっと思うだけだ。

私が、死んだら――。

私は今、生まれ育った場所から遠く離れたところに住んでいる。

そしてここには、「血」という意味では私に繋がる人は誰ひとりいない。

だからたとえば私の生死を揺るがす、
何か大きな「事」が起こったときに、 私を探してくれる人はいるだろうか。

さあ、どうだろう。

それはわからないけれど。

私がこの先、誰かを愛して誰かに愛されて
人生を共にする決心をして、そうして私がその人より先に死んだなら。

してほしいことがある。

私の姿が、ほんの小さな骨かあるいは灰になった時、
その灰を、いくつかの場所に撒いてほしい。

まぁ、まるで何か、安っぽい映画のワンシーンじゃない。

そう思われてもいい。

まず、私の生まれ育った、広島。

できれば尾道の海がいい。
そして撒くのは晴れの日を選んでほしい。
青く透き通った海に、白い私のかけらがまじるのは、なんかいいだろうと思う。

そして、ベルリン。
たった一年だけれど、私はベルリンに住んでいた。
そこで多くの人と出会い、私の心は今も強くその場所を求めている。
いつか、どんな形でも「帰る」だろうと思っている。

そして最後は、生前私が一度も行かなかった場所。
エジプトかもしれないし、インドかもしれないし、名前もわからないちいさな島かも。
案外、国内だったりするかもしれない。
別に、どこでもいい。
まだ見たことのない景色が広がっているところなら。
欲を言えば、風の心地良い、海の見えるところがいい。

ものすごくわがままかもしれない。
お金もかかるし。
それでも、愛するひとにはそうやって、私のお弔いをしてほしい。
そんなことを、笑いながら話せる人に出会いたい。

どうしてそんなことをしてほしいかというと、
大好きな人と一緒に最後の旅をしたいからだ。

私の故郷を見せたいし、
私が大好きだった場所を見せたいし、
そうして愛する人と、全然知らない場所を、私も見てみたいんだ。
何倍にも軽くなった身体と魂で。

生と死は、切り離しては考えられない。

生まれたからには、死に向かって生きていかなきゃいけない。

走っていくのか歩いていくのか、その人の自由だけども。
ランナーズハイのまま、走り抜けるのもいいだろう。
ゆっくり道草しながら歩くのも、悪くない。
どちらにしてもそこへたどり着くときに、私は笑っていたいと思う。

十分に満足した、と。
十分に愛された、と。
そして十分に愛した、と。

今生きているということは、きっとものすごい奇跡の積み重ねなんだろうと思う。

大げさでもきれいでも全然ない、奇跡。

どうせなら最後の最後まで、わくわくでいっぱいにしたい。





あんのん



2012年5月30日水曜日

ゆめ。

五月だというのに、まだ朝はとても寒くて、
それなのに太陽は五月のそれそのもので
とても健康的なエネルギーを発するから
私は混乱してしまう。
 




自転車をこぎながら、今日みた夢について考える。
もともと夢をよく見るたちで、
その夢はいつもわりとくっきりとしているから
(もちろん内容は突拍子もないこともあるけど)
時々、どっちが夢で、どっちが現実かわからなくなる。
今日見た夢。
ちいさい頃から何度も見ている夢を、今日もまた見た。
 
それは、おばあちゃんのうちには、秘密の部屋があるという話。
弟とかくれんぼをしているうちにそれを見つけて、2人で探検する夢とか、
その秘密の部屋でニワトリをこっそり飼う夢、とか、
忍者になって追手から隠れる、とか。
状況は様々なんだけど、不思議なことに、
毎回、その部屋の構造は寸分違わず同じだ。
部屋、というよりは空間というほうが正しいかもしれない。
 
おばあちゃんちにある小さな物置に続く、普段は使われていない扉。
そこを開けると、木の階段が現れる。
ちょうど、トトロでメイとさつきがまっくろくろすけを追いかけて上がったような。
ただし、それは二階へ、ではなくて地下へと続いている。
踏み出すとみしり、と音を立てるそれを、私はいつも降りていく。
怖れと、期待をもって。
降りるとそこは、窓もないのにいつも、太陽の光が薄く射している。
電気じゃない明るさ。 
そして、とてつもなく、広い。
この時点でもう、完全に現実にはあり得ないのだけど、私はどこかで、
その部屋が本当にあるんじゃないかとうっすら思っている。
私は怖がりで、あったとしても地下なんて絶対にひとりで行ったりしないけど、
その空間だけは、実在すればいいのに、と。
 
そして、これもよくわからないのだけど、その秘密の空間が夢に出てくるときは、
どういうわけか決まって私はこどものままなのだ。
普段見る夢はわりと現実に寄り添っていて、私はちゃんと今の私なんだけど。
夢占いというのがあるけど、一体この夢は何を表しているんだろう。
豪邸を持ちたい、とか単純なものだったら、笑ってしまうな。
私は、だけどそれを解明したいとは思わない。
 
夢は、夢だ。
それ以上の重さも、それ以下の軽さも持ってはいけない。
ただ単純に嬉しいのは、その夢ではいつもおばあちゃんに会えるということだ。
私のおばあちゃんは、とても可愛い。
いつもにこにこして、私を見ている。
それだけで私も嬉しくなってしまう。
 
あの、秘密の空間。
きっとどこかにはあるんだと思う。
たとえうちじゃなかったとしても。
 
そんなことを考えながら、自転車をペダルを踏む。
駅の雑踏。 
いつもの風景。
みんな何かしらの目的を持って、改札をくぐる。 
現実の朝が、始まる。
 
誤解のないように言っておくと、私の大好きなおばあちゃんは今もご健在だ。
 

 
 
 
 
 
 
あんのん