遅ればせながら。
11月30日、12月1日の二日間。
さまざまな分野のアーティストによるアート企画、union
第二弾「もつれる」、無事終了いたしました。
ご来場頂いた皆様、本当にありがとうございました。
今回は昨年とはまた違って、
グループ展という趣でやらせて頂きました。
今回も音楽家の吉岡亜由美さんとコラボレーションしました。
映像と音楽と言葉で作品を創りました。
それぞれがもつれたりほどけたりしながら、
心地のよい空間を演出できていればうれしいです。
朗読のライヴもしました。
その場で朗読し、吉岡さんがその場で音を加える。
常設上映とはまた違った雰囲気を出せたと思います。
去年も思ったけど、朗読、たのしい。
文字で読んでもらうのとはぜんぜん違う。
もちろん、言葉にはひとつひとつに意味があって、
それをじっくり味わってほしい、というのが一番だけど、
時として、 絵や音楽のように、感覚で味わってほしいと思うこともあり。
だから、できるだけ受け手に考える隙を与えず、
できるだけ感覚的に受け取ってもらえる形、という点で
朗読という形式は自分の中でしっくりきたなぁ、と思います。
おかげさまで、たくさんの方に来て頂くことができました。
いろんな友達に、いつものan-nonじゃない、と言われました笑
朗読ライブ後、いろんな方にお声をかけて頂き、
中には初めましての方もいらっしゃって嬉しかったです。
たくさんのお言葉を頂いたので、
すべてを噛みしめるにはまだ時間がかかりそうですが、
少しずつ消化して、栄養にしていきたいです。
何かご感想を頂ければ幸いです。
「一体、自分は何がやりたいんだろう。」と日々もわもわしていますが、
それでもやっぱり書いていくんだろうと思います。
手を動かしていれば、何かができる。
反省や課題がたくさんありすぎて、外に出した後は毎回心えぐられているので、
年内はゆっくりゆっくり生きたいと思います。
あそんでください笑
それでも、手は止めずに。
ご来場頂いた皆様には、重ねてお礼申し上げます。
しばらくは、パフォーマンスや展示の予定はないけど、
書き続けていればまた、何かしらわくわくするような出来事が待ってるんだろうと思います。
またどこかで、お会いしましょう。
2013年12月12日木曜日
2013年6月17日月曜日
らせん -spiral-
はんのよしえ 石神ちあき
詩の朗読とダンスのコラボレーションパフォーマンス
らせん -spiral-
先週土曜日に無事終了しました。
ご来場頂いた皆様、本当にありがとうございました。
「書く」ということが、自分の中ではやっぱり軸になっとって、
書くことを自分の表現手段としてきたんじゃけど、
文字として、ではなく、もっとすっと、言葉が人に触れることはできんかなぁ、と
実はずっと考えとって、そうした中で今回行きついたのが朗読という形だった。
しかし、朗読、かぁ。
朗読は、演劇とはまたちょっと違う。
せっかくライブでやるんであれば、視覚的に何か欲しい。
どうしよう。
そんなことを悶々と考えとったときに、ちあきちゃんに出会った。
詩とダンス。
静と動。
そのふたつを上手く融合させることができるじゃろうか。
不安はあったけど、基本のスタンスが「まぁ、やりたいことはとりあえずやってみよう」なので、
やってみることに。
結果、思っとった以上に良い空間が創れたんじゃないかと思う。
元々、生で何かを観るのがすごく好きだった。
作り手が、ライブという形を選んだ以上、
その形で作品に触れるのが一番だと思っている。
音楽もお芝居も絵も。
DVDや作品集になってしまうと、それは全然違うものになってしまう。
(そちらの利点はポータブルであることと何度でも見れること。
否定しとるわけじゃないよ。)
生、というのはやはりいいものだなーと思う。
その日その時その場そこにいる人たちでしか
成立しえない空気。
たとえ同じ人が別の日に集まったとしても、
全く、寸分違わず同じものはできん。
その空間まるごと、空気まるごと、
来た人には味わってほしい。
たくさん、その空間の中で呼吸をしてほしい。
そんなことを考えながら、詩を書き、朗読しました。
内容については、来たひとそれぞれに感じてもらえれば。
舞台の中で朗読した詩は、今後こちらにアップするかもしれません。
そのときはそのときで、また言葉の世界を感じてもらえれば嬉しいです。
今回やってみて思ったことは、また次やりたい。
どういう形になるんかはまだわからんけど、
文字とは違う、言葉を、届けたい。
しかし続けるからにはもっと、クオリティを高めたい。
これからも考えながら、いろいろなものに触れながら、
作品づくりをしていきたい。
詩の朗読とダンスのコラボレーションパフォーマンス
らせん -spiral-
先週土曜日に無事終了しました。
ご来場頂いた皆様、本当にありがとうございました。
「書く」ということが、自分の中ではやっぱり軸になっとって、
書くことを自分の表現手段としてきたんじゃけど、
文字として、ではなく、もっとすっと、言葉が人に触れることはできんかなぁ、と
実はずっと考えとって、そうした中で今回行きついたのが朗読という形だった。
しかし、朗読、かぁ。
朗読は、演劇とはまたちょっと違う。
せっかくライブでやるんであれば、視覚的に何か欲しい。
どうしよう。
そんなことを悶々と考えとったときに、ちあきちゃんに出会った。
詩とダンス。
静と動。
そのふたつを上手く融合させることができるじゃろうか。
不安はあったけど、基本のスタンスが「まぁ、やりたいことはとりあえずやってみよう」なので、
やってみることに。
結果、思っとった以上に良い空間が創れたんじゃないかと思う。
元々、生で何かを観るのがすごく好きだった。
作り手が、ライブという形を選んだ以上、
その形で作品に触れるのが一番だと思っている。
音楽もお芝居も絵も。
DVDや作品集になってしまうと、それは全然違うものになってしまう。
(そちらの利点はポータブルであることと何度でも見れること。
否定しとるわけじゃないよ。)
生、というのはやはりいいものだなーと思う。
その日その時その場そこにいる人たちでしか
成立しえない空気。
たとえ同じ人が別の日に集まったとしても、
全く、寸分違わず同じものはできん。
その空間まるごと、空気まるごと、
来た人には味わってほしい。
たくさん、その空間の中で呼吸をしてほしい。
そんなことを考えながら、詩を書き、朗読しました。
内容については、来たひとそれぞれに感じてもらえれば。
舞台の中で朗読した詩は、今後こちらにアップするかもしれません。
そのときはそのときで、また言葉の世界を感じてもらえれば嬉しいです。
今回やってみて思ったことは、また次やりたい。
どういう形になるんかはまだわからんけど、
文字とは違う、言葉を、届けたい。
しかし続けるからにはもっと、クオリティを高めたい。
これからも考えながら、いろいろなものに触れながら、
作品づくりをしていきたい。
2013年3月24日日曜日
ながれる。
あっという間に3月がきて、
もうそれすら過ぎ去ろうとしている。
いつの間にか私は29になり、
東京に、桜が色をつける。
最後の冬が頑張って、まだ身体を少しだけ冷やそうとする。
それでも、 そこここに春はもうちゃんと、存在している。
私が生まれた日。
29年前のあの日に、私が生まれただなんて。
そうしてまだちゃんと、息をしているだなんて。
不思議でしかたないけど、至極あたりまえのようにも思う。
ちいさいころの私は、今の私を見てどう思うだろう。
なりたかった自分に、今なれているだろうか。
それは正直、わからない。
はっきりと、イエスは言えない。
けど。
けど、今まで生きてきた中で、
常にそのときそのときでのベストな選択をしてこられていると思う。
そしてそれはとても幸せなことだと思う。
どんなに変化を拒んでも、ひとは変わっていく。
いいふうにも、わるいふうにも。
時間は流れる。
滞ることなく。
その中ですこしでも多く笑っていられたら、それでいい。
そしてだれかを、たいせつにできたら、もっといい。
ゆっくりしか進めないけど、ゆっくりと進んでいる。
私は変わっていく。
どんどん、どんどん。
この先何百、何千とするであろう選択。
そのときの自分にとって、ベストな選択ができるように、
日々、感覚や感性を研ぎ澄ましておこう。
いろんなものに対して、ずっと敏感でいたい。
もうそれすら過ぎ去ろうとしている。
いつの間にか私は29になり、
東京に、桜が色をつける。
最後の冬が頑張って、まだ身体を少しだけ冷やそうとする。
それでも、 そこここに春はもうちゃんと、存在している。
私が生まれた日。
29年前のあの日に、私が生まれただなんて。
そうしてまだちゃんと、息をしているだなんて。
不思議でしかたないけど、至極あたりまえのようにも思う。
ちいさいころの私は、今の私を見てどう思うだろう。
なりたかった自分に、今なれているだろうか。
それは正直、わからない。
はっきりと、イエスは言えない。
けど。
けど、今まで生きてきた中で、
常にそのときそのときでのベストな選択をしてこられていると思う。
そしてそれはとても幸せなことだと思う。
どんなに変化を拒んでも、ひとは変わっていく。
いいふうにも、わるいふうにも。
時間は流れる。
滞ることなく。
その中ですこしでも多く笑っていられたら、それでいい。
そしてだれかを、たいせつにできたら、もっといい。
ゆっくりしか進めないけど、ゆっくりと進んでいる。
私は変わっていく。
どんどん、どんどん。
この先何百、何千とするであろう選択。
そのときの自分にとって、ベストな選択ができるように、
日々、感覚や感性を研ぎ澄ましておこう。
いろんなものに対して、ずっと敏感でいたい。
2013年2月26日火曜日
たゆたう。
ゆるりゆるゆる。
時間は流れていきます。
やなことも、いいことも。
おんなじ顔して流れていきます。
結局、最後は大丈夫になっとる。
言葉はあいかわらずこんこんと、私の頭に沸いてくる。
ひらめいては書いて、書いてはわぁってなって、
けど次の瞬間には、あれ、つまらんかもって思ってる。
こわい。
ほんまは。
けど書くしかないし、出すしかない。
これからもやってきましょう。
最近、おふろで本を読みます。
バスタブにきちんとお湯をためて。
足をのばしてお湯につかる。
これ、だいじ。
体がお湯にたゆたう音。
心地よいあたたかさに浸かりながら、本を読む。
冷静と情熱のあいだ、を久々に。
ロッソ。
やわらかな文章が、おふろにとてもよく合う。
自分をだいじにする時間。
身体はとても正直者で、心が知らないストレスを、
きちんと私に教えてくれる。
それに今まで、でも、私は耳を傾けていなかった。
そうやってためてためてためてきたものが、
今、ぶわぁ、とあふれ出てきて、苦しくなっています。
だけど。
だから。
自分をだいじにする時間。
を、だいじに。
楽しいこともたくさんあるから、いろいろお知らせしますね。
よかったら、とりあえず5月末 or 6月頭の土曜日の夜はあけといて。
おもしろいことするから。
時間は流れていきます。
やなことも、いいことも。
おんなじ顔して流れていきます。
結局、最後は大丈夫になっとる。
言葉はあいかわらずこんこんと、私の頭に沸いてくる。
ひらめいては書いて、書いてはわぁってなって、
けど次の瞬間には、あれ、つまらんかもって思ってる。
こわい。
ほんまは。
けど書くしかないし、出すしかない。
これからもやってきましょう。
最近、おふろで本を読みます。
バスタブにきちんとお湯をためて。
足をのばしてお湯につかる。
これ、だいじ。
体がお湯にたゆたう音。
心地よいあたたかさに浸かりながら、本を読む。
冷静と情熱のあいだ、を久々に。
ロッソ。
やわらかな文章が、おふろにとてもよく合う。
自分をだいじにする時間。
身体はとても正直者で、心が知らないストレスを、
きちんと私に教えてくれる。
それに今まで、でも、私は耳を傾けていなかった。
そうやってためてためてためてきたものが、
今、ぶわぁ、とあふれ出てきて、苦しくなっています。
だけど。
だから。
自分をだいじにする時間。
を、だいじに。
楽しいこともたくさんあるから、いろいろお知らせしますね。
よかったら、とりあえず5月末 or 6月頭の土曜日の夜はあけといて。
おもしろいことするから。
2013年1月24日木曜日
ことば。
さて。
いつの間にやらすっかり年は明けて
最近めっきり寒くなって
ぽっかり空いた心の穴はそのままに
さっぱり放置していた日記。
日本語っておもしろいね。
オノマトペ。
擬音と擬態。
日本語は数ある言語の中でも群を抜いてそれが多いと思う。
韻も踏みやすいし言葉あそびだってたくさん、できるんだぜ。
ああ、なんて、愛しいの。
そんなことを日々考えていたら新しい年になっていて
なにやらあいさつもままならぬまま
それでも変わらず毎日は穏やかに過ぎていっています。
(と、いう、いいわけ)
あたりまえだけど、母国語がいちばん、伝えやすい。
言語ってすごいよね。
いまだに不思議。
一方から見たらただの線や音の連なりでしかないものが、
どこかではちゃんと、意味のあるものとして、
それによってひととひとが通じ合う。
生物学上はおんなじ生き物なのに、全然ちがう言葉で生きている。
ね。
ここでしかわからない、暗号。
ふふふ。
なんかいいね。
それでも伝えたいことがたくさんあるから、
違う国の言葉も学んでみたりする。
なんかいいね。
伝えようっていう、理解しようっていう、そのまっすぐなきもち。
言葉を学ぶ最終的な目的は、その言葉が話せるようになることじゃなく、
その言葉でだれかに想いを伝えられるようになること、伝える手助けができるようになること。
私が話せる言語なんて片手で事足りてしまうほどしかないけれど。
学び続けたいのは、
ふふふんって得意になりたいからじゃなく、
ちょっと世界を拡げてみたいだけ。
それが自分でできるなら、やってみて損はないじゃない?
伝えていきたいな。
これからも、自分のことばで。
今年もよろしくお願いします。
ああ、やっと言えたー。
いつの間にやらすっかり年は明けて
最近めっきり寒くなって
ぽっかり空いた心の穴はそのままに
さっぱり放置していた日記。
日本語っておもしろいね。
オノマトペ。
擬音と擬態。
日本語は数ある言語の中でも群を抜いてそれが多いと思う。
韻も踏みやすいし言葉あそびだってたくさん、できるんだぜ。
ああ、なんて、愛しいの。
そんなことを日々考えていたら新しい年になっていて
なにやらあいさつもままならぬまま
それでも変わらず毎日は穏やかに過ぎていっています。
(と、いう、いいわけ)
あたりまえだけど、母国語がいちばん、伝えやすい。
言語ってすごいよね。
いまだに不思議。
一方から見たらただの線や音の連なりでしかないものが、
どこかではちゃんと、意味のあるものとして、
それによってひととひとが通じ合う。
生物学上はおんなじ生き物なのに、全然ちがう言葉で生きている。
ね。
ここでしかわからない、暗号。
ふふふ。
なんかいいね。
それでも伝えたいことがたくさんあるから、
違う国の言葉も学んでみたりする。
なんかいいね。
伝えようっていう、理解しようっていう、そのまっすぐなきもち。
言葉を学ぶ最終的な目的は、その言葉が話せるようになることじゃなく、
その言葉でだれかに想いを伝えられるようになること、伝える手助けができるようになること。
私が話せる言語なんて片手で事足りてしまうほどしかないけれど。
学び続けたいのは、
ふふふんって得意になりたいからじゃなく、
ちょっと世界を拡げてみたいだけ。
それが自分でできるなら、やってみて損はないじゃない?
伝えていきたいな。
これからも、自分のことばで。
今年もよろしくお願いします。
ああ、やっと言えたー。
2012年12月9日日曜日
ていねいに、ていねいに。
お芝居を、見てきました。
下北沢にて。
お芝居はすきで、よく見にいく。
むろん、ひとりで。
映画や展示やお芝居やそういうのは、ひとりで。
別段、そう決めているわけではないのだけれど、
そこに漂う空気まるごと味わいたいので、
そして終わってもしばらくは、その空気の中に身を浸していたいので。
終わったあとすぐにしゃべると、何かをとりこぼしてしまうような、
なんだかちょっともったいない気がするのです。
(もちろん、人がきらいなわけじゃないんよ。)
さて、今回のお芝居。
よく行くお店の店員さんが出演されていたのです。
もちろん私は、店員としての彼しか知らないので、
なんだか不思議な心持ちでいたのですが、
いやはやとても良いお芝居でした。
序盤からずっと泣いては鼻をずびずび言わしてました。
隣の知らないお兄さん、ごめんなさい。
生きる、ということは。
なんとまぁ美しく、それでいてどろどろと生々しいの。
生きているからにはどのぐらいか先に必ずある、死。
ひとによってその長い短いは違う。
いつ死ぬかなんて、わからない。
けど。
私はたぶん、明日もちゃんと生きている。
ちゃんと目を覚まして、会社へ向かう。
その日常を、だいじにだいじに生きていたいと思う。
いつ死ぬかわからんから、とかじゃなく。
いつ死んでもいいように。
たぶんその最後に、十分に愛されて十分に愛して、十分に生きた、という満足感があれば。
日々をていねいに、濃く。
これはずっと心に留めておきたい。
そんなふうに思わせてくれる、お芝居でした。
それから、ふと。
自分も、表現の種類は違えど創り手のはしくれ。
(プロフェッショナル、アマチュアの別なく、広義に)
芸術、ということについて考える。
それはみんなに等しく、同じだけ必要なもの――
では、ない。
誰かにとっては必要不可欠じゃし、誰かにとってはまったく要らんもの。
水や食べ物とは、少し違う。
それがなくなったからと言ってただちに日々が困窮するものでは、ない。
けれど。
けれどそれぞれの持つものを、思いを、それぞれの形で、出していく、ということ。
表現する、ということ。
この欲求は多かれ少なかれ、誰しもが持っているものではないかな、と。
ならばその欲求、なんらかの形で外へ出したほうがよい、というもの。
そしてそれは、受け手がいて初めて、成立する。
言わばひととひとを、つなぐもの。
ひとが、進化してきたという事実に、私がありがたみを感じることのひとつが、
感性を持ち合わせているということ。
敏感で繊細で、時に大胆で。
決していつもきれいなわけではないその感性を、
みんな自分のやり方で磨いて磨いて、
創ったり見たり読んだり聞いたり触れたり、する。
そう、必要不可欠、ではない。
けれど、発したエネルギイがたしかに、空気を震わせる、ということ。
微かでも。
その微細な振動が、空気の流れを変えるということ。
そしてそれを受け取った誰かの日々が、
ほんのちょっとでも色づき、豊かになるということ。
その光景を見たいから、私は書き続ける。
どこでどんなふうに、誰をしあわせにできるのか、まだわからないけれど。
それでも、続けていれば。
きっと。
私の言葉で、ほんのすこしでも誰かの世界をやわらかくできたなら。
そう思いながら、私はきょうも、筆を執るのです。
下北沢にて。
お芝居はすきで、よく見にいく。
むろん、ひとりで。
映画や展示やお芝居やそういうのは、ひとりで。
別段、そう決めているわけではないのだけれど、
そこに漂う空気まるごと味わいたいので、
そして終わってもしばらくは、その空気の中に身を浸していたいので。
終わったあとすぐにしゃべると、何かをとりこぼしてしまうような、
なんだかちょっともったいない気がするのです。
(もちろん、人がきらいなわけじゃないんよ。)
さて、今回のお芝居。
よく行くお店の店員さんが出演されていたのです。
もちろん私は、店員としての彼しか知らないので、
なんだか不思議な心持ちでいたのですが、
いやはやとても良いお芝居でした。
序盤からずっと泣いては鼻をずびずび言わしてました。
隣の知らないお兄さん、ごめんなさい。
生きる、ということは。
なんとまぁ美しく、それでいてどろどろと生々しいの。
生きているからにはどのぐらいか先に必ずある、死。
ひとによってその長い短いは違う。
いつ死ぬかなんて、わからない。
けど。
私はたぶん、明日もちゃんと生きている。
ちゃんと目を覚まして、会社へ向かう。
その日常を、だいじにだいじに生きていたいと思う。
いつ死ぬかわからんから、とかじゃなく。
いつ死んでもいいように。
たぶんその最後に、十分に愛されて十分に愛して、十分に生きた、という満足感があれば。
日々をていねいに、濃く。
これはずっと心に留めておきたい。
そんなふうに思わせてくれる、お芝居でした。
それから、ふと。
自分も、表現の種類は違えど創り手のはしくれ。
(プロフェッショナル、アマチュアの別なく、広義に)
芸術、ということについて考える。
それはみんなに等しく、同じだけ必要なもの――
では、ない。
誰かにとっては必要不可欠じゃし、誰かにとってはまったく要らんもの。
水や食べ物とは、少し違う。
それがなくなったからと言ってただちに日々が困窮するものでは、ない。
けれど。
けれどそれぞれの持つものを、思いを、それぞれの形で、出していく、ということ。
表現する、ということ。
この欲求は多かれ少なかれ、誰しもが持っているものではないかな、と。
ならばその欲求、なんらかの形で外へ出したほうがよい、というもの。
そしてそれは、受け手がいて初めて、成立する。
言わばひととひとを、つなぐもの。
ひとが、進化してきたという事実に、私がありがたみを感じることのひとつが、
感性を持ち合わせているということ。
敏感で繊細で、時に大胆で。
決していつもきれいなわけではないその感性を、
みんな自分のやり方で磨いて磨いて、
創ったり見たり読んだり聞いたり触れたり、する。
そう、必要不可欠、ではない。
けれど、発したエネルギイがたしかに、空気を震わせる、ということ。
微かでも。
その微細な振動が、空気の流れを変えるということ。
そしてそれを受け取った誰かの日々が、
ほんのちょっとでも色づき、豊かになるということ。
その光景を見たいから、私は書き続ける。
どこでどんなふうに、誰をしあわせにできるのか、まだわからないけれど。
それでも、続けていれば。
きっと。
私の言葉で、ほんのすこしでも誰かの世界をやわらかくできたなら。
そう思いながら、私はきょうも、筆を執るのです。
2012年11月16日金曜日
かく。
文章を、書いています。
というのはもう、よくよく言っていることですが。
世の中に表現の数は無数にあるけれど
わたしはその中で、言葉を、文字をえらんだ。
えらんだ、というより、ふくらんでいく頭の中に
あらわれては消える文字たちの、
裾を必死につかまえてはたぐりよせていくような。
まぁつまり、書くしかなかったわけです。
わたしは。
自分が、才能があるかどうかなんてまだわからん。
向いてる向いてない、もきっとあるんだけどよくわからん。
それでも。
おもしろいものを
やわらかいものを
すてきなものを
つくっていこうという気持ちはあふれていくばかり。
だから私はきょうも、書くのです。
わたしの愛しい言葉たちにふれて、
誰かの日々がほんの少しやわらかくなれば、いいなぁ。
そのためにわたしは、いろいろのことに敏感でいたい。
感覚を、すっと澄まして。
できるだけ、純粋でいたい。
外側のものに対しても。
できるだけ、ふれていたい。
表現、していきたい。これからも。
そんなわけで。
12月15日20時、代官山Eau Cafeにて。
他分野の表現者たちによる、一夜限りのアートイベント・union。
に、参加します。
写真と音楽とことばのコラボレイション。
心の中にじんわりと拡がっていく夜のような空間を、言葉で演出できたらと思っています。
ぜひ、お時間のある方はお越しください。
オーナーの粋なはからいで、この夜限りのメニューも登場します!
すてきな表現者とおいしい料理。
少しだけおだやかな時間を過ごしてみませんか?
フライヤーが出来上がりました。
かわいい!
これ、みんなの作品の切れ端をコラージュしたものなのです。
みんなの思考の一部がまざりあったみたいで、楽しいね。
皆様ぜひお越しくださいませ。
というのはもう、よくよく言っていることですが。
世の中に表現の数は無数にあるけれど
わたしはその中で、言葉を、文字をえらんだ。
えらんだ、というより、ふくらんでいく頭の中に
あらわれては消える文字たちの、
裾を必死につかまえてはたぐりよせていくような。
まぁつまり、書くしかなかったわけです。
わたしは。
自分が、才能があるかどうかなんてまだわからん。
向いてる向いてない、もきっとあるんだけどよくわからん。
それでも。
おもしろいものを
やわらかいものを
すてきなものを
つくっていこうという気持ちはあふれていくばかり。
だから私はきょうも、書くのです。
わたしの愛しい言葉たちにふれて、
誰かの日々がほんの少しやわらかくなれば、いいなぁ。
そのためにわたしは、いろいろのことに敏感でいたい。
感覚を、すっと澄まして。
できるだけ、純粋でいたい。
外側のものに対しても。
できるだけ、ふれていたい。
表現、していきたい。これからも。
そんなわけで。
12月15日20時、代官山Eau Cafeにて。
他分野の表現者たちによる、一夜限りのアートイベント・union。
に、参加します。
写真と音楽とことばのコラボレイション。
心の中にじんわりと拡がっていく夜のような空間を、言葉で演出できたらと思っています。
ぜひ、お時間のある方はお越しください。
オーナーの粋なはからいで、この夜限りのメニューも登場します!
すてきな表現者とおいしい料理。
少しだけおだやかな時間を過ごしてみませんか?
フライヤーが出来上がりました。
かわいい!
これ、みんなの作品の切れ端をコラージュしたものなのです。
みんなの思考の一部がまざりあったみたいで、楽しいね。
皆様ぜひお越しくださいませ。
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